47歳でやむなくセミリタイア

病気のためセミリタイアをすることに。現在は週20時間程度のバイトをしています。その他、雑多なことを記録として書いています。

今日は3.11、東日本大震災の日ですか

だんだん起床時間が遅くなっている。一日崩れるとずるずるといってしまいますね。

さて、今日は3/11日、東日本大震災のあった日ですね。私は何の因果かその頃ちょうど仙台に赴任していて、直接震災を経験しました。
幸い住んでいた家も会社も仙台駅周辺だったので津波の被害はなかったですが、その後の何週間かは生活はまあまあ大変だったと記憶しています。

震災当日

当日は会社で仕事をしていました。特に前触れもなくひどい揺れが来てPCやディスプレイが軒並み倒れてしまっていました。立っていられないどころか、床につかまっているのがやっとで、机の下に動くことも難しかったですね。会社は結構高層階だったので揺れが大きかったのだと思います。その後は階段で下に降りて、明日からはこれる人だけ会社に来るようにという話で解散しました。
震災直後はまだ携帯が使えたので実家に連絡を取って無事であることだけ伝えました。その内基地局のバッテリーが切れたのか携帯は使えなくなりました。ワンセグが使えたので、津波が来ているということはわかりましたが、詳細を得るのは難しかったです。
その後で部屋(ワンルームマンション)に戻ると、棚とかは倒れて散乱していました。赴任中は、東京に荷物を残していたので、持っているものが少なかったので片付けはそんなに大変ではなかったです。

震災直後

私の住んでいたところは、水道が最初に復旧していました。ただ、私の住んでいたところは電気で水道を屋上のタンクに組み上げていたようで、電気が復旧するまでは水道は使えず、近くの水道が使えるところまで行く必要がありました。
ガスもプロパンガスだったので結構早く復旧しました。電気は2,3日位で復旧しましたが、高い階に部屋があったので、エレベーターが動き出すまでは大変でした。
社員の中にはライフラインの復旧に何か月かかかった人もいて大変そうでした。ライフラインというだけあって、電気ガス水道がいつ復旧するかというのがメジャーな話題でした。
インターネットは電気と同じタイミングで復旧していたと思います。しばらくはかなり大きい余震が何度もありました。

その後

ライフラインが復旧した後は、食料品の入手が一番の問題でした。私はちょうど食料品を買い込んでいたので、最初の数日はそれでしのいでいました。
会社に災害用の食料品をストックしていたようでそれを配っていたのと、商店街の人たちが、近くの農家とかから仕入れてきて青空市場で売るとかしていたのをようやく買っていました。売り出しがあるときは、勤務時間中でも買い出しに行ってもいいということになっていたので、何回か買いに行ったのを覚えています。まあ、会社にいても半分くらいしか人がいませんでしたが。

会社が海辺から結構離れていたので、会社の人に直接津波で亡くなったという方はいなかったと思います。床下まで来たというのは聞きましたし、実家がという話はありました。
地震が起きたのが夜でなくてよかったとか、冬だったらもっと大変だったとかという話をしていたような。

とりとめもなく書いてみました。あの頃はまだ元気だったよなあ。